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2. 2004年5月3日(月) ブルサへの道のり

「トルコって、どこにあるの?」

今回、この仕事を始めて、何度も聞かれる質問。
私は、大学時代に一度、トルコを旅行していたので、 当然みんな知っているように思っていたのだが、日本人にとって、 トルコはまだまだ遠い異国なのだと思い知った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

トルコは、世界で唯一、ヨーロッパとアジアの両方にまたがる国家である。 特にイスタンブールは、ボスポラス海峡をはさんで、ヨーロッパ大陸とアジア大陸が接しており、日本が建設したファティフ・メフメット大橋(第2ボスポラス橋)で、二つの大陸は結ばれている。

日本人にはあまり知られていないが、トルコ人の日本人びいきは、とにかく筋金入りだ。
日本とトルコの親密な交流は、100年以上前にさかのぼる。 日本人が、難破したトルコの船員を親身に世話をした「エルトゥールル号事件」
逆に、イラン・イラク戦争のとき、孤立したテヘランに残された日本人を、 命がけで救いに向かったのがトルコ航空だったことはご存知だろうか?
更に、トルコ共和国の父と慕われるアタチュルクが、明治維新を手本としていたこともあり、 トルコ人は「日本」という国に、並々ならぬ愛情を感じている。 だから、トルコを旅すると「日本人だ」というだけで、本当に気持ちの良い体験をたくさんする。

歴史的に言えば、トルコはその地理的な利点もあり、古くから豊かな文明が育っていた。
有名なところでは、紀元前2000年から700年までの、ヒッタイト文明。
紀元前700年から334年の、ペルシア帝国による征服。 「王様の耳はロバの耳」で有名なミダス王は、フリュギアの王である。
また、ヘレニズム・ローマ時代には、アレキサンダー大王の支配化にあったこともあり、 各地に良質な遺跡が多く点在している。
クレオパトラが歩いた「大理石の道」や、聖母マリア終焉の家もある。 最近映画になっている「トロイ」の遺跡もトルコにあるし、更に古いところでは、 ノアの箱舟が、洪水の引いた後、降り立った山まである。
ビサンツ帝国時代には、コンスタンティノープル(イスタンブール)は、 西ローマ帝国の首都だったし、セルジューク朝になってからは、イスラムの都となった。
有名なオスマン・トルコ時代には、スュレイマン大帝時代に、 領土は東ヨーロッパから北アフリカ・西アジアにまたがる広大なものとなり、 ウィーンを包囲したこともあった。
有名なトルコ行進曲は、この包囲のときにインスピレーションを得て、作られたといわれている。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

これだけ強大な国家であったにも関わらず、近年のトルコの影が薄くなってしまったのは、 第一次大戦の敗北の影響が大きい。
第一次大戦の敗北後、列強はトルコを分割、植民地化しようとした。 この危機を救ったのが、一人の英雄、ムスタファ・ケマルである。 彼は、戦いによってトルコを植民地化の危機から救うと、アンカラに首都を移し、 政教分離、ラテン文字の採用、女性の選挙権獲得など、近代化への道を拓いた。
だから、トルコでは、お酒も飲めるし、女性もスカーフで髪を隠す義務はない。
言語はトルコ語だが、英語のアルファベッドによく似ている。
こういった背景もあり、トルコは、ヨーロッパとアジア、イスラム教とキリスト教を、 うまく取り入れ昇華させているように、私には思われる。

きわめて洗練された、ヨーロッパのセレブ御用達の最高級品もあれば、 まさにイスラームの影響を受けた伝統的な細工物もあり、トルコの市場は興味深い。 ショッピングセンターも、ベスト・ヨーロッパ賞を受賞するような、 大規模で洗練された店がどんどんオープンしている。
ただ、残念なことに、日本で紹介されるトルコの商品といえば「絨毯」のイメージが強く、 発展途上国のような情報が多い。
考えてみると、ニューヨークで「日本展」を行うとき、 伝統的な漆器・陶芸・着物や歌舞伎といったものが展示されるのと、同じようなものか・・・

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トルコのショッピング・モール。吹き抜けがあるものが多い。右の写真はカルフール。
ドイツのホームセンター、バウ・ハウスやトルコ最大の雑貨店チェーンのムド・コンセプトなど
各種専門店が並ぶ大型の複合施設。

話を本題に戻そう。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

5月3日の朝、4時ごろだろうか、目が覚めた。ブルー・モスクから朝の礼拝の声が流れてくる。
カーテンを開けると、まだ薄暗く、月が未明の中空にかかっている。
「いよいよ、今日」
重圧が胸を締めつけ、逃げ出したいような衝動に駆られる。
エロールさんとの約束は、8時。 まだまだ時間はあるのだが、頭が冴えてしまい、とても眠れそうにない。
この部屋は、左右にベランダがあり、アヤ・ソフィアと、ホテルの中庭の両方が臨める。 中庭では食事も楽しめるのだろう、朝食を準備する、かすかな気配が漂ってくる。 あまりにも早いのだけれど、手持ち無沙汰なので、日本から持参した資料を読み直し時間をつぶす。

現在、日本市場で手に入る学習机と、子ども家具の資料と、各メーカーのチラシを集めたもの。 日本で CILEK が店頭でどのようにディスプレイされているかのレポート。 私たちの事業計画、などなど・・・。
おそらく、日本市場への進出を狙っているのならば、 喉から手が出るほどほしいであろう資料。
資金も、経験もない私たちが提供できるものは、こういった情報しかない。 これを武器に、今日のミーティングに臨むのだ。

ようやく、長い夜が開け、朝食をとりに階下へ降りていった。
並んでいるのは、懐かしいものばかり。
私がトルコの食事で思い出すのは、 トマトときゅうりと味の濃い卵、そして、ヨーグルト。 シロップ付けのフルーツや豊富なシリアル、世界一と称される美味しいパンなどもあるのだが、 これらの食べ物は旅でくすんだ身体を浄化してくれるような気がするのだ。
プチホテルらしく、さっきまでモップ片手に掃除をしていたお兄さんが、 「飲み物はなににする?」と、ボーイに変身して聞いてきた。
工藤さんは好き嫌いのない人で、しかも、異国の食事を積極的に楽しんでくれる良い性格なので、 名物「エルマ・チャイ」を頼む。 これは、私は勝手に「アップル・チャイ」と呼んでいる代物で、 温かいりんごジュースに似た味がする。おなかに優しい味がするのだ。
ゆっくりと時間をかけて朝食をとっていると、ふっと記憶を呼び起こす香りが漂ってきた。

「コロンヤ」だ。
たぶん世界一、長距離バス網が発達したトルコならではの習慣で、 バスに乗るとまず、乗務員のお兄さんが一人ひとりに、レモンのようないい香りのする 揮発性の液体「コロンヤ」を振舞ってくれる。手をこすり合わせると、さっぱりしてくる。 そして、飲み物が配られる。
十年前、バスの運転手さんも乗務員さんも、ツアーの仲間もたいへん仲良くなって、 イスタンブールに向かうフェリーの中で、運転手さんが、みんなにチャイをご馳走してくれたのだった。
「トルコの人って、本当にいい人ばっかりだったな・・・」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

出発の支度を整え、ロビーでエロールさんを待つ。
しかし、約束の時間になっても彼は現れず、刻々と時間が過ぎていく。 やっと現れたエロールさんによると、空港そばの自宅からホテルまで、 通勤ラッシュに巻き込まれてしまい、なんと1時間半も掛かってしまったとのこと。
昨日も感じたことだが、車の量が激増している、経済のスピードが速い。

イェニカプのフェリー乗り場から、マルマラ海を最短距離で渡り、ヤロワへ。
そして、陸路ブルサへ向かうこととなった。 およそ3時間の道のり。
フェリーへは車ごと乗り込む。 車を止めて、ラウンジへ上がっていくと、とっても美味しそうな朝食を売っている。 エロールさんは勧めてくれたが、とてもお腹一杯で食べられたものではない。 フェリーの中では、きちんと座席が決められていて、乗務員が食事のオーダーに来るのだ。
しばらくすると、才四郎君がちょっと飽きてきてしまった。 すると、ラウンジの一角に、子供用の遊戯スペースがあるという。 そこでは、小さな子どもをつれたお母さんが、談笑しながら自由に遊ばせていた。 見ていると、子供は子供同士、相手を伺いながら、なんとなく一緒に楽しんでいる。
そんな風にゆっくりと時間をすごしていると、あっという間にヤロワに到着した。

ヤロワは、数年前のマルマラ海沿岸の大地震のときに、大きな被害をこうむった地域で、 真新しいマンションが立ち並んでいた。 その色合いが、絶対に、日本ではありえない、ピンク、黄色、グリーンといった鮮やかな色彩で、 ぐっと異国を感じさせた。

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40フィートコンテナ。
これで世界中に配送されていく。

ヤロワを過ぎ、しばらくすると大きな港町を通り過ぎた。
GEMLIK PORT 。
ここから CILEK の家具は日本に輸出されるのだという。 ここの保税上屋に、 CILEK の輸出のための子会社があり、 名前は「 Strawberry 」なんだよ、とエロールさんが洒落っ気たっぷりに教えてくれた。

そうそう、いい機会だ。
あと2時間の間に、 CILEK が日本市場をどう考えているのか、私たちとの取引は可能なのか、 会議の前に、聞き出してしまおう。それからの2時間が、今回の訪問の成否を決定づけることになった。

エロールさんに、まず、 CILEK は日本市場をどう考えているのか、 また現状の販売方法に満足しているのかを聞いてみた。 すると、 CILEK としては、全商品を日本で展開していきたいと考えていることが分かった。

ひとつ気になったのは、私たち以前にも契約の申し出があり、 実際に1コンテナ送ってみたところ、すぐに完売したので、今後も販売を継続したい旨の申し出があったというのだ。
しかし、社長の一存で、今後の取引は出来かねる、ということになったのだそうだ。
理由は「人間的に信頼が置けないから」
これは、・・・となってしまう情報だった。

私は、なぜ今まで3年も見本市に出店していたにもかかわらず、日本での販売が実現しなかったのか、 また、現在日本で流通している家具がどんなものであるか、海外ブランドの進出状況、 嗜好の変化と輸入のタイミングについてなど、思いつくままに語っていった。
エロールさんも、 CILEK の製品について、企業としての姿勢、社長の方針、 今後の企業展開などについて、教えてくれた。

これは、まさに「僥倖」だと思った。
私たちが望む以上の水準で、生産が行われており、 望むとおりのスタイルでの取引が可能だということが分かったのだ。 後は、会議の展開次第。
犀は投げられたのだ。

しばらく走ると、オスマントルコ帝国の首都であり「緑のブルサ」と謳われる、古都ブルサに到着した。
ブルサは、緑多く、そして・・・五月にもかかわらず「雪?」
窓の外に、無数の白いふわふわとした物体が浮かんでいる。 その光景は、まさに「雪」なのだが、どう考えても、気温は20度を超えている。
後で分かったのだが、それは街路樹の種子が、綿毛をつけて飛んでいるところだったのだ。 つまり、タンポポの綿毛のように。

時刻はちょうど昼。
首都、アンカラに続く、幹線道路を左折し、ガードマンのゲートを抜けると、 そこに今夜のホテルがあった。
オタンティック・ホテル。トルコ語の「アンティーク」ホテル。
中世の石畳を抜けると、やはり石造りの古めかしいホテルが見えた。
ホテルの入り口はこじんまりとしているのだが、実にいい雰囲気で、 10日後に結婚するエロールさんが、披露宴後に宿泊する、というのも納得できた。 さらにおどろいたのは、洗練された身のこなしのホテルマンたちだった。 扉を開けると、優雅なプールにジム。完璧なサービスをするベルマン。
なるほど、隠れた一流ホテルだ。
ここで、チェック・インを済ませてから昼食をとり、本社へ向かう、という算段になった。

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ホテルのアプローチと 入り口

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